勝 海舟
『勝 海舟』(かつ かいしゅう)とは、将軍直属の家臣である幕臣でありながら広い視野を持った政治家であった。1823年江戸本所亀沢町で生まれ、曽祖は盲人であり、当時盲人に許されていた高利貸しで成功し巨万の富を得た。盲官の最高位である検校の位についた。勝 海舟は幼少時より剣術を従兄弟の道場で習い、直心影流の免許皆伝となったのである。青年時には蘭学を志し、修行中に辞書を一年かけ、二部筆写して1部を売ったという話も有名である。蘭学者の象山の薦めもあり西洋兵学を修め、海舟の妹が象山と結婚するなど、交流は深まって行った。そんな時、ペリーが来航し、提出した意見書が幕府に認められ長崎の海軍伝習所に入門する。1860年には、ジョン万次郎、福沢諭吉らとともに咸臨丸で太平洋を横断しアメリカ・サンフランシスコへ渡米した。しかし、帰国後「安政の大獄」(あんせいのたいごく)と呼ばれる日米修好通商条約への調印に反対する者が起こした事件により、引退を余儀なくされてしまう。