島津 忠義
『島津 忠義』(しまづ ただよし)とは、薩摩藩の第12代藩主。島津久光を父に持ち1840年に生まれる。諱は初め忠徳だったが徳川家茂から偏諱を賜り茂久と改名。伯父・斉彬の養嗣子となり、伯父が死去したことで19才で藩主となり、父、久光とともに藩政改革を推進する。1863年「薩英戦争」(さつえいせんそう)以後、軍備の近代化を目指す。「薩英戦争」とは、生麦事件から勃発した、イギリスと薩摩藩の間で起きた砲撃事件である。五代友厚らを欧州に派遣した後、フランス人・モンブランと商社設立を協定した。明治維新後は版籍奉還を進んで行い、討幕から内々の勅旨が下ると王政復古に力を尽くす。1871年の廃藩置県後は公爵となり、趣味の乗馬や写真撮影を楽しんだ。また、花火作りなどにも興味を持っており趣味深い人物だったとも言える。また、大日本帝国憲法公布の日、まげを切らずに洋服姿で登場するなど個性的な一面もあったようだ。1897年、鹿児島市にて死去。享年58歳だった。死後の翌年国葬が行なわれた。