大隈 重信

『大隈 重信』(おおくま しげのぶ)は、佐賀藩の藩士であり、第8代と第17代内閣総理大臣である。1838年に佐賀城下会所小路で生まれ、佐賀藩士の父から生まれる1856年、佐賀藩蘭学寮に入りオランダの憲法について進講し、蘭学寮を合併した弘道館教授に着任する。明治維新の時にイギリス公使との交渉などで手腕を発揮。1873年には大蔵省事務総裁となる。1882年には、立憲改進党を結成し、東京郊外の早稲田に東京専門学校を開設する。これが後の早稲田大学である。1898年、内閣総理大臣を拝命。薩長藩閥以外からでは初だったという。しかし4ヶ月後、内閣は総辞職することになりいったん政界を引退。早稲田大学総長へ就任し、様々な文化事業を展開した。1914年、2度目の内閣を結成するが2年後に再び総辞職し、完全に政界から退いた。1922年、83歳で死去。自邸で告別式を行った後、日比谷公園で「国民葬」が催された。約30万人の一般市民が参列したと言われる。