清水 次郎長

『清水 次郎長』(しみずの じろちょう)とは、任侠を建て前として世渡りしたことで有名な人物である。本名は山本 長五郎(やまもと ちょうごろう)。1820年1月1日、駿河国有渡郡清水湊で生まれるが、元旦生まれの子供はよほど偉くなるか悪い奴になるという言い伝えがあったため母方の叔父の次郎八の養子となった。その言い伝えの通りか、15際の時に、あまりに手に負えず次郎八から勘当される。19歳の時、「あんたは25歳までしか生きられない」と占い師に言われ、人生を見直すことになる。しかし1843年、甲田屋の主人となっていた次郎長は人を斬ってしまう。清水を離れ修行のたびに出るのであった。1868年街道警固役を任命された年、幕府の艦船と官軍の艦船の激しい戦闘が起きた。その際、見張りの兵士全員が交戦により死亡した。遺体が港に浮く様は哀れでもあり、漁業の邪魔にもなった。それを次郎長が子分達を従えて、遺体を回収し、向島の砂浜に埋葬、石碑まで建ててやったと言う。官軍から反発をかうが跳ね除け、地元の人々から大いに尊敬されるようになり、静岡藩大参事の任にあった山岡鉄舟からも深く感謝され、交際を深めるきっかけとなった。