タウンゼント・ハリス
『タウンゼント・ハリス』(Townsend Harris)は、アメリカ合衆国の外交官である。1804年にニューヨーク州サンディ・ヒルに生まれ、ニューヨーク市教育委員長として活動した。妻子は無く、生涯独身であった。1853年、「ペリー」が浦賀に第一次遠征を行った時、『タウンゼント・ハリス』は上海にいた。「ペリー」と行動を共にしたいと願い出たが、ハリスは軍人ではなかったため、受け入れてもらえなかった。その後、アメリカへ帰国後、政界人の縁を頼って寧波の領事に任命される。1854年に日米和親条約を締結され、11条に領事駐在が記されていることを知ると、1856年に大統領に直談判し、初代駐日領事に任命される。下田の玉泉寺に総領事館を開いたハリスは、大統領親書の提出のために江戸出府を望むが、なかなか受け入れられず翌年、出府が許可され、やっと大統領からの親書を上呈することができた。1862年に病気を理由に辞任の意向を示し、帰国。帰国後は業績を表彰され、1876年保養地で死去74歳であった。