山岡 鉄舟

『山岡 鉄舟』(やまおか てっしゅう)とは、幕末の幕臣で明治期の政治家である。剣豪としても有名である。1836年江戸本所で御蔵奉行の父から生まれ、幼い頃からより神陰流剣術を学ぶ。その頃、父が飛騨郡代となったため、飛騨高山で幼少時を過ごすことになる。15歳で弘法大師流入木道(じゅぼくどう)52世を受け継ぎ、一楽斎と名乗る。父の死後、江戸へ戻り山岡静山に槍術を学ぶが静山が急死した後、静山の実弟らに頼まれ山岡家の養子となる。1868年、精鋭隊歩兵頭格になると勝海舟と西郷隆盛の会談に先回りし、単身で西郷隆盛と面会した。江戸開城の基本条件について合意を得ることに成功する。明治維新後は、静岡藩藩政補翼となり、清水次郎長と意気投合した。剣・禅・書の達人として知られていたが、1888年、胃癌のため死去。皇居に向かって結跏趺坐(けっかふざ)のまま臨終したという。享年53歳であった。自らが維新に殉じた人々のために建設した「全生庵」に眠っている。