近藤 勇

『近藤 勇』(こんどう いさみ)とは、将軍直属の家臣であり「新撰組」の局長である。1834年に武蔵国多摩郡石原村の農家に生まれる。15歳の時、盗人を退治するなどして入門先の天然理心流3代目に見込まれ養子となる。島崎勇と名乗ったのちに、近藤勇を名乗った。28歳の時に14代将軍・徳川家茂の上洛警護をする浪士組織「浪士組」へ参加し、上洛。「新撰組」の先駆けである「壬生浪士組」は、結成当初、隊員が暗殺されたり脱退、切腹など様々な問題が起き、最終的に近藤派と芹沢派の二派閥体制となった。「八月十八日の政変」の後、一派が暗殺され近藤が唯一の局長として新選組を背負うこととなる。新隊士であった伊東甲子太郎が脱退すると、近藤への暗殺計画が噂され、近藤は伊東を酔わせ、帰り際に仲間に暗殺させた。その復讐として伏見街道で高台寺党残党の篠原泰之進らに狙撃され、右肩に銃創を負う。1868年、平尾一里塚で斬首された。享年35歳であった。