松平 春嶽
『松平 春嶽』(まつだいら しゅんがく)とは、江戸時代後期の大名であり、第14代越前福井藩主である。1828年江戸城内の田安邸に生まれ、松平斉善の養子となる。11歳の時に斉善が死去し、第14代越前福井藩主となる。由利公正、橋本左内らに補佐されながら、藩政改革を行う。1853年、ペリー率いる艦隊が来航した際には薩摩藩主らと共に海防強化を主張するが、ハリス来日後、老中阿部正弘との会見や橋本左内・中根雪江らの補佐もあり、開国派に転じる。しかし、アメリカとの日米修好通商条約を調印すると登城をして抗議し、謹慎処分を下されるのである。1868年、内国事務総督、翌年には民部官知事、民部卿、大蔵卿を兼任する。同年、大学別当・侍読に就任し、正二位に叙せられ、華々しい人生を歩む。1881年には、勲二等旭日重光章授章し、1890年に死去する前の年には勲一等旭日大綬章を授章する。享年64歳で小石川の自邸で死去した。