江藤 新平
『江藤 新平』(えとう しんぺい)とは、佐賀藩士であり、明治政府内で立法・司法制度の確立において大きな功績を残しており、特に司法卿(現在の司法大臣)として司法制度の基礎を作った人物である。1834年に肥前国佐賀郡八戸村で佐賀藩士の父から生まれる。14歳の時に藩校の弘道館へ入学し、優秀な成績を残す。特待生であったため、政府が学費の一部を支給するが、怠慢な父のせいで入学当初から生活が貧しかったので進学はせず、枝吉神陽の私塾に通い神道や尊皇思想を学んだ。1862年に脱藩し、京都で活躍するが2ヶ月ほどで帰郷する。当時、脱藩した者は死罪の刑であったが、見識を高く評価され、無期謹慎に軽減された。その後は寺子屋で講師を務めながら、影では藩主へ助言するなど政治活動は続けていたと言う。そして、明治政府内での大久保利通らとの征韓論争に破れ、明治政府に不満をもつ佐賀の士族とともに佐賀の乱を起こす。しかし1874年、政府軍に敗れ処刑される。