鍋島 直正
『鍋島 直正』(なべしま なおまさ)とは、佐賀藩第十代藩主で佐賀藩の苦しい財政を数々の改革によって立て直した人物である。幼名は貞丸。その後、斉正・直正となる。1830年、父の隠居に伴い第10代藩主に就任するが、父は隠居後も実権を握り、贅沢な私生活を送ったと言われている。藩校である弘道館を拡大し、優秀な人材を育成し登用するなど、学問を奨励し、西洋の科学技術を積極的に取り入れ、産業を興し、佐賀藩が幕末から明治にかけて活躍する土台を作った。また、人材の育成にも優れていた。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」(とば・ふしみのたたかい)では、最新兵器を装備し薩長側の勝利に貢献するなど、佐賀鍋島藩は大きく活躍した。50年先に待ち受ける食料、資源などの問題を見通して、満州開発、オーストラリア鉱山開発などを提言する。戦いの褒賞を開拓費用に当てるなど、千里眼の持ち主だったとも言えるだろう。1871年、享年58歳で病死する。