副島 種臣
『副島 種臣』(そえじま たねおみ)とは、佐賀藩士であり官僚も勤めた書家としても有名な人物である。1828年、国学者であり藩校の弘道館の教授でもあった枝吉南濠の次男として生まれる。兄も国学者であり、早くから尊王攘夷思想に目覚め、後にその兄と共に「尊王攘夷運動」(そんのうじょういうんどう)に加わることになる。その後1864年、弘道館の国学の教授を勤め、1864年、佐賀藩が長崎に設けた洋学校・致遠館で大隈重信らとともに英学を学び、開国論に傾く。明治維新後、新政府の外務卿となり、「マリアルーズ号事件」「樺太国境問題」や「沖縄・台湾問題」などを解決するなど特に外交面で活躍し、参議や外務卿をつとめる。種臣は、外交だけでなく、書家としても有名で優れた作品を約2000点も残した。書家の時は「青海」を名乗り活動していた。1905年、77歳で死去。翌日、日本中の新聞が種臣の死去を悲しむ記事を載せたと言う。