安島 帯刀

『安島 帯刀』(あじまたてわき)とは、幕末期に活躍した政治家である。1811年に代々、水戸藩士の家柄に生まれ、母方の叔父・安島彦之允信順の養子となった。本家は信州松本6万石の松本藩藩主の家柄である。1837年、家督を継ぎ、山陵修営を建策した。その後、水戸藩の官僚として活躍し、藩士の教育行政にあたる学校奉行などを行い幕府より恩賞を受けた。その直後、兄を「安政の大地震」(あんせいのだいじしん)により亡くすと、水戸藩家老に任ぜられるも、薩摩藩士の西郷隆盛らと交友をもつなどして水戸藩内に留まらず、幕府の守旧派からも憎まれる存在となっていったのである。孝明天皇が水戸藩に勅書を交付したとされる事件、「戊午の密勅」(ぼごのみっちょく)に帯刀が関わったと疑われ、幕府に尋問される。結果、無罪とされたものの、井伊直弼に命じられ1859年、三田藩藩邸にて切腹。48歳であった。これも「安政の大獄」の影響である。