桜田門外の変

『桜田門外の変』(さくらだもんがいのへん)とは、1860年に水戸藩の浪士らが井伊 直弼を暗殺すべく行なったクーデターのようなものである。井伊 直弼は、『安政の大獄』で知られているように反対勢力を大々的に弾圧していた。その行動に反発を持っていた水戸藩と薩摩藩の浪士が協力して襲撃を企てたが、薩摩藩の情勢が変わってしまい水戸藩の浪士だけで計画を決行することになった。事前に井伊 直弼の元に警告状は届いていたが、井伊 直弼は警護を強化することなく普段どおりに登城した。これが後に大きく影響したのである。1860年3月24日、襲撃の日は季節はずれの雪が降っており視界も悪く、それが水戸藩の浪士の味方となった。大名駕籠見物を装い、駕籠が近づいたところで一気に襲撃。襲撃開始の合図として井伊が乗った駕籠にめがけて打たれたピストルの弾は井伊に命中。動けなくなったところを次々に刺され、最後は有村 次左衛門によって首をとられた。この日の雪で、護衛側は合羽を着て、刀にカバーをかけていたため、襲撃に立ち向かう際にそれが邪魔になってしまったのである。